『「金融システム」は世界を救済できるか』

「テアトロ」『闇の光明』『戦場のような女』『ザ・パワー・オブ・イエス
 ブレヒトの『闇の光明』(劇団「風」岩淵達治訳演出:桐山知也)は、一九一九年作とあるから、作者が二十一歳前後、おそらくキャバレーなどのポピュラー・エンターテインメントに夢中になっていた時期に書いたものだろう。この短い戯曲は私に新しい発見をもたらした。というのはドイツにもいかがわしい「衛生展覧会」なるものがあったということを知ったからである。日本でもかつて同じ趣向の催し物があって、客を呼び寄せていた。教育的効用をうたいながらその実、性病に冒された女性の局部や肉体を蝋細工や本物で見せていた。裸の女性が舞台では見られなかった時代に大衆のエロティシズムを満足させる見世物となっていた。一種の「フリークス・ショー」でもあった。『闇の光明』の原題は"Lux in Tenebris”とあるからラテン語である。ラテン語とは聖職者の言語であり、しかも“Lux”とは「啓蒙主義」と俗悪な「エロティシズム」を暗示する両義的な言葉である。なんというアイロニーだろうか。舞台はとある町の悪場所にある広場(娼家の並んだ「淫売窟通り」と台本にはある)。演出はここに高さほぼ一米の演技台を据える。この台の上に立って呼び込みのパドゥーク(車宗洸)が性病の名を連呼して、客入れをする。やがて娼家の経営者ホッゲ夫人(辻由美子)と呼び込みは共同経営をし成功する。芝居は「悪のハッピーエンド」で終わるが、この劇のメタファーは?
次に『戦場のような女』(川口覚子訳)。ルーマニア人出身で、現代フランスの劇作家マテイ・ヴィスニュックが「風」に書き下ろした作品。演出は浅野佳成であるが、実際には江原早哉香がほぼすべてを担当したよし。初演の時は二幕だったが、今回は休憩なしで、一気に二時間の上演。主題が重厚で、複雑なため観劇には緊張感が求められる。出演者は二人。ボストン精神医学診療所から派遣されているケイト(柴崎美納)とボスニアの女性ドラ(工藤順子)。舞台はクロアチアのある病院。ケイトは奥の椅子に坐り、机の上に広げた日記を読む。ドラは前方の椅子に坐って動かない。ケイトの問いかけにも答えない。二人の間にはディスコミュニケーションの空気が流れている。こうした構図で長い劇は始まる。副題に「あるいはボスニア紛争の戦場のような女の性について」とあるように、これはクロアチア人、セルビア人、ボシュニャク人を中心に始まった内戦でレイプされ、妊娠した女性の物語である。ケイトの日記には「民族主義的リビドー」とあるが、精神分析の発達したアメリカではレイプはそう見られていた。一般的にはレイプは「民族浄化」の最大の方法とみなされている。作者は巧みな表現をする。「レイプは電撃戦の形式のひとつである」。兵士は銃弾・砲弾・戦車にではなく、女たちの叫びに身をさらす。敵対する民族を動揺させるためにレイプ作戦が展開される。こうして女たちは強制妊娠させられ、放り出される。ドラもそうした女のひとりだった。女性とは戦場だったわけである。
ケイトの職務は報告書を作成することだったが、次第にドラへの共感が生まれ、アイルランド人という自分の出自への思いにとらわれる。「見るもの」が「見られる」という「さかさまの世界」が提示される。一方ドラは「生む」「生まない」という「ダブルマインド」の状態におかれるが、結局生むことを決断し、養子にというケイトの申し出も断り、自分で育てるという解決が暗示される。要約は一見簡単そうであるが、民族的アイデンティティや多様な問題群が提出され、劇は重層化する。戯曲の細部へのめくばりが必要である。
柴崎・工藤の演技にみなぎっていた熱気は客席にまで伝わってきた。就中パンを口一杯に頬ばりながら台詞をいうくだりには稽古の成果もよく現れており、心動かすものがあった。ひたすら二人の台詞まわしと身体表現に劇の進行を委ねた演出も特筆に価する。
しんがり坂手洋二演出の「ザ・パワー・オブ・イエス」(デイヴィッド・ヘアー作・常田景子訳)。M・ムアーの「ザ・ビッグ・ワン」には、アメリカの大企業の非情なパワーが大衆の生活を劣化させている状況がよく描かれているが、同時にその背後にある金融システムの支配力も感じさせる。システムは不可視であるが、ある日突然巨大な姿を現す。それが「リーマンショック」だった。この不可知な現象は英国でも同じだったようだ。その原因解明の試みがこの戯曲だ。俳優は「金融崩壊譚」の語り部となり、演出は聴覚性を助長する。だが芝居を見る楽しみはない。「債権の証券化」「レバレッジ」などのタームは透明になるが、それより戦慄的なのは「金融システムのグローバルなパワー」の存在だ。「ボスニア・ヘルツゴヴィナ紛争」まで飲み込んでしまう。「金融システム破綻」の前では「民族浄化」も単なるローカルな事象として語られることになるのかもしれない。